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ネパール歴史を簡単にわかりやすいようにまとめた!年表&産業は?

ネパールの歴史
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ただ、残念なことにこのエアトリではネパールへのツアーは扱っていなくて・・・ツアーを予約するなら、近畿日本ツーリスト 海外ツアーが良いですよ。

ネパールはもちろん、カトマンズ以外のツアーも扱っているんです^^

ネパールの歴史をご存知ですか?

学校で習う歴史には、登場しないのでご存知ない方も多いと思います。

実際は、多くの王朝が次々と現れた華やかな時代もあれば、辛い時代もあります。

ネパールの歴史を簡単にわかりやすくまとめました。この他、産業も紹介します。

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ネパールの歴史の年表

ネパールの歴史の年表としては、こちらになります。

世紀 年代 出来事
紀元前7世紀頃 カトマンズにキラート族による最初の国家誕生
4世紀 リッチャビ族がキラート族を倒し王朝を築く
7世紀 リッチャビ王朝が倒れタクリ王朝誕生

タクリ王朝とチベット王が婚姻関係を結ぶ

12世紀 マッラ王朝誕生
15世紀 マッラ王朝が3つに分裂

全土で46の独立・公国が乱立

18世紀 1769年 ゴルカ王朝(シャハ家)がネパール統一

シャハ王朝誕生

19世紀 1814年 イギリスとグルカ戦争(ネパール戦争)

敗戦後イギリス駐在官を受け入れる

19世紀中頃 ラナ家が総理大臣に就任、実権を掌握

シャハ王朝を無力化

20世紀 1950年代 民主化運動により、シャハ王朝による王政復古
1959年 マヘーンドラ国王が憲法発布
1960年 マヘーンドラ国王が議会を解散し、内閣を罷免
1990年 ビレンドラ国王が新憲法発布し、立憲君主制
1991年 議会制民主主義のもと議会選挙実施
1996年 共産党毛派(マオイスト)闘争始まる
21世紀 2002年 ギャネンドラ国王が議会を解散し、直接統治
2006年 議会復活

マオイストと政府軍が停戦合意

2008年 ギャネンドラ国王退位し、王政廃止

連邦民主共和制に移行

参考:外務省:ネパール基礎データ

 

ネパールの歴史を簡単にわかりやすくご紹介

 

先史時代のネパールには、旧石器時代からカトマンズ盆地に人が住んでいたことが

ドゥマカールの遺跡で確認されています。

紀元前6世紀ごろ、ネパール国内のルンビニで

釈迦(ゴータマ・シッダールタ)が生まれました。

紀元前3世紀には、インドのアショーカ王が釈迦の生誕地を巡礼するなど、仏教は盛んでした。

ネパール仏教については、こちらの記事で詳しくご紹介しています↓

 

しかし3世紀頃、北インドから侵略してきた

ネ―パーラ王国によって、ヒンドゥー教が優勢になりました。

7世紀にはいるとタクリ王朝が誕生し、チベット王と結婚し、チベットと友好関係を結びます。

12世紀にはマッラ王朝が栄え、多くの寺院や宮殿の建設を行いネワール文化が栄えました。

ネパ(夫)
ネパ(夫)

僕もネワール族です^^

 

 

15世紀にはマッラ朝がバクタプル王国・カトマンズ王国・パタン王国に分かれ、

地方でも独立、公国が乱立しました。

18世紀に入るとゴルカ王朝がネパールを統一し、

シャハ家がカトマンズを首都にネパール王国を建国しました。

 

19世紀にはイギリスとグルカ戦争(ネパール戦争)の結果、

イギリスの駐在官を受け入れることになりました。

19世紀中頃にはラナ家が宰相を世襲し、シャハ王朝は実権を失いました。

20世紀に入ると、民主化運動が高まり、

亡命先から帰国したシャハ王朝トリブバン国王が王政復古し、立憲君主制になりました。

 

1959年、マヘーンドラ国王が新しい憲法を公布し、

民主化選挙を実施しましたが、翌1960年突如議会を解散させ、内閣を罷免してしまいました。

1990年、ビレンドラ国王がパンチャーヤット制を廃止して、民主化しました。

しかし1996年には、共産党毛派(マオイスト)闘争が始まり

混乱状態(マオイスト闘争またはネパール内戦)になります。

 

2006年、この年、国王が直接統治を断念し、コイララ政権が発足します。

議会が政教分離(ヒンドゥー教の国教廃止)を決定しました。

マオイストと政府軍が停戦合意し、内戦は終結します。

2008年、王政(グルカ王朝)が廃止され、連邦民主共和制が導入されました。

2015年、ネパール地震が発生。

これは、日本でも覚えている人は多いのではないでしょうか。

 

ネパ(夫)
ネパ(夫)

僕はその時、すでに日本にいました。幸い、ネパールの家族も無事でした。

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ネパールの歴史と産業

 

ネパールは歴史的にインドとかかわりが深く、また、チベットとも友好関係にあります。

ヒンドゥー教が国教だった時代も長く、

建築物やその装飾、木工製品に宗教色が色濃く反映されています。

電力はヒマラヤ山脈の水力発電のみで、不足気味です。

したがって、大規模な工業は発達することはなく、手工業が盛んです。

 

農耕に適した土地が少ないこともあり、鉱物資源も少ないので国民の所得は多くありません。

最大の貿易相手国はインドで、既製服やカーペット、

豆や香辛料などの農産物を輸出しています。

既製服はサリーやパシュミナストールなど伝統の織物の他、

小規模縫製工場で生産された洋服などです。

 

この他の手工業では、紙製品があります。

以前の観光業はヒマラヤ登山で人気がありましたが、

マオイスト闘争による内戦で低迷しました。

近年ではヒマラヤ山脈のトレッキングや、世界遺産を中心とした観光に力を入れています。

 

こちらの記事で、ネパールの冬のおすすめ観光スポットを

ネパール人夫が写真付きでご紹介していますが、別に冬でなくてもオススメですよ^^↓

 

ネパールの歴史と産業:世界3位のショウガ生産国

農業に適した土地が少ないながら、

輸出品に豆や香辛料といった農産物があって驚かれたのではないでしょうか。

実はネパールはインド、中国に次いで世界3位のショウガ生産国です。

そのほとんどは土のついたまま、インドに輸出されます。

 

ネパールは水資源に恵まれていませんので、

日本で見るような洗浄されたショウガに仕上げることが困難です。

このインドに輸出されたショウガは、洗浄され高値で取引されます。

 

中東では洗浄されたショウガの需要が高まっていますが、

ネパールは参入することができません。

そこで、乾燥生姜に活路を見出している業者も現れています。

この乾燥生姜はEUや日本に輸出されています。

 

ジャパ(妻)
ジャパ(妻)

余談ですが、私の祖母も昔生姜を乾燥して、生姜パウダーをたくさん作ってくれていました。私が冷え性なので^^;

 

ネパールの歴史と産業:紙製品はノートやカードがハンドメイドインネパールで人気

ネパールの手工業といえば、サリーや手編みの帽子と思い込んでいませんか?

実は、紙製品も人気です。

普通「メイドインネパール」と原産国を表示しますが、

ハンドメイドインネパール」と表示されています。

 

ネパールの紙製品は、和紙のような手すきの紙です。

この紙製品は、デザインがとてもアジアンです。

ノートやカード類も充実していますが、人気があるのはしおり

植物や動物などのデザインもありますが、「ブッダア・アイ」もあります。

 

ネパール暦のカレンダーなど観光客のお土産ばかりでなく、輸出もされています。

実際に私の知り合いも、こんな感じでネパールお土産として買っていました↓

(横のペンは、お土産ではなくサイズ比較のためです 笑)

ネパールのお土産 カレンダー

 

ネパールの歴史と産業:パシュミナ織はインド産とは別物

パシュミナ織は、カシミヤを紡いで織り上げたものです。

伝統的にインドではカシミヤ100%ですが、ネパールでは経糸にシルクを使います。

したがって、ネパール産の方が軽く、光沢感もあります。

↓ネパール人夫が私にお土産として買ってくれた、パシュミナはこれです^^

ネパールのパシュミナストール

 

めちゃめちゃ綺麗でしょ?しかも、意外と暖かくてかなり重宝しています^^

ネパールのパシュミナストール

 

パシュミナのカシミヤは、ヒマラヤ山脈に生息する

カシミヤ山羊から採取された素材を使います。

現地でも明確なパシュミナの定義がないので、

高級品も化学繊維で作られたものも全てパシュミナとして販売されています。

 

また、日本では法律上パシュミナという繊維の用語がないので、

ウールまたはカシミヤと表記されています。

ファッションの世界でパシュミナの光沢感、美しさ、品質の良さが認められ、

欧米や日本ではとても人気の商品ですよ。

 

ネパールの歴史を簡単に!年表&産業:まとめ

 

ネパールは、次々と王朝が現れては消えていきます。

民主化運動も内戦も経験し、落ち着いたところにネパール地震。

ネパールは現在も困難な時代が続いています。

ちなみに日本とネパールは、1956年に正式な国交が樹立されています。

ここ数年、ネパールから日本に輸出されている品目は以下の通りです。

  • 1位:既製服
  • 2位:紙製品
  • 3位:カーペット・繊維

この他、ショウガ、蜂蜜などがあります。ご参考に^^

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