ネパールの世界遺産の文化遺産は、2か所が登録されています。
「カトマンズ盆地」と「ブッダの生誕地ルンビニ」です。
このうち「カトマンズ盆地」は王宮や寺院、史跡など合計7カ所で構成されています。
今回は、ネパールの歴史的建造物で世界遺産になっているカトマンズ盆地の中からご紹介します。
ネパールの歴史的建造物で世界遺産になっている場所
世界遺産に登録されているカトマンズ盆地の7カ所は、以下の通りです。
- カトマンズのダルバール広場
- ボダナート(ストゥーパ)
- パタンのダルバール広場
- スワヤンブナート(モンキーテンプル)
- パシュパティナート
- バクタプルのダルバール広場
- チャング・ナラヤン
ダルバール広場(カトマンズ、パタン、バクタプル)
この中で、ダルバール広場が3カ所出てきます。
「ダルバール」はネパール語で「宮廷」を意味します。
カトマンズ、パタン、バクタプルそれぞれに王宮があった場所で、
この広場の周辺に寺院や旧王宮など、歴史的建造物を多く見ることができます。
特にヒンドゥー教の寺院は王国によって保護されたこともあり、
芸術性、工芸技術ともに見るものを圧倒する迫力です。
また、カトマンズ、パタン、バクタプルそれぞれに趣が異なり、
王国が共存しながらも覇を競い合ったカトマンズ盆地の栄華が偲ばれます。
ボダナート、スワヤンブナート
一方、ボダナート(ストゥーパ)とスワヤンブナート(モンキーテンプル)は仏教寺院です。
ボダナートはチベット仏教の聖地です。
ブッダの遺骨が納められているとされる仏舎利(ストゥーパ)には、
「ブッダ・アイ」と呼ばれる「ブッダの目」が描かれています。
また、スワヤンブナートは400段の長い階段を上っていくと、
「ブッダ・アイ」が描かれたネパール最古の仏教寺院を見ることができます。
ボダナートに比べるとかなり小さい仏塔ですが、
小高い丘の上にあるので、カトマンズ盆地に沈む夕日を
見ることができる絶景スポットとしても有名です。
パシュパティナート
パシュパティナートはインド大陸4大シヴァ寺院に数えられる、
ネパール最大のヒンドゥー教寺院です。
バグマティ川の川岸に建てられています。
このバグマティ川は、インドのガンジス川の上流になります。
そのため、ヒンドゥー教の信者にとっては聖地で、
巡礼者やサドゥと呼ばれるヒンドゥー教の修行者が多く集まります。
ヒンドゥー教の信者以外は、寺院に立ち入りが規制されています。
ちなみに、↑の画像に写っているのがネパール人夫ですが、
このパシュパティナートは、夫の近所にあるお寺です(笑)
この寺院では、裸足にならなければいけません。
チャング・ナラヤンは圧巻のネワール彫刻
チャング・ナラヤンはカトマンズ市内から少し離れたバクタプルにあります。
このチャング・ナラヤンはヒンドゥー教の寺院です。
カトマンズ盆地で323年に建立されたといわれていますが、
現在の建物は1702年に再建されました。
チャング・ナラヤンは、ネパールの寺院でも建築技術のすばらしさは群を抜いています。
寺院に彫り込まれたネワール彫刻は「圧巻」と評されます。
世界遺産にはなっていないけど、オススメのネパールの歴史的建造物
ナラヤンヒティ宮殿は、カトマンズのダルバール広場にある宮殿です。
別名ナラヤンヒティ・ダルバールとも呼ばれています。
それまで宮殿として使用されていた
ハヌマンドカ宮殿に代わって、1886年に建築されました。
2008年に王政が廃止されるまで、実際に宮殿として使用されていたものです。
現在のネパール王室は別の場所に住み、
ナラヤンヒティ宮殿は博物館として利用されています。
世界遺産とネパール地震
2015年に発生したネパール地震は、世界遺産にも甚大な被害をもたらしました。
歴史的建造物であるがゆえに世界遺産に指定された建物は、
無残な姿になってしまいました。
もちろん、被害の少なかった建物は修復を終え、
昔の賑わいを取り戻したものもあります。
しかし、チャング・ナラヤンは外側から木材などで支えている状態です。
レンガ造りと木造の混合構造による被害の拡大
ネパール地震によって、世界遺産を含む約500の歴史的建造物が
全半壊したことが確認されています。
ネパールの歴史的建造物は外壁がレンガ造りですが、
内部の構造材は木材が多く使われています。
つまり、レンガ造りと木造の混じり合った構造になっています。
このため地震による被害が大きかったとされています。
日本の担当はカトマンズのハヌマンドカ旧王宮の2つの寺院
日本の国宝や重要文化財の修復を行う技術者が復興支援に現地で作業をしています。
カトマンズ・ダルバール広場にある
ハヌマンドカ旧王宮内のアガンチェン寺とシヴァ寺院を対象にしています。
アガンチェン寺は、王族の私的な神をまつるための三重の塔です。
1649年に建立されました。
そしてシヴァ寺院の方は、二重の塔で1640年代の建立と伝えられています。
文化財修復技術を伝えて復興に寄与する日本人技術者
ネパールではもともと歴史的構造物の図面や記録写真、
調査報告書を作る習慣がありませんでした。
そこで、日本の文化財修復技術の計画策定や、
修復作業のための調査工事を行うことから始めています。
その中で、測量調査、修理計画の策定の他、
写真撮影や図面の作成、報告書の作成なども伝えています。
また、系統立てた組織作りの必要性も一緒に
作業を進めながら認識してもらえるように工夫しています。
調査工事から修復作業が完了するまでに地震から5年後を目標としています。
倒壊した寺院の基壇の調査による新たな発見
この修復作業に伴い、倒壊した歴史的建造物の地下の発掘調査も行っています。
寺院の基壇部分を発掘して、基礎部分が重量に耐えられるか
などの調査を始めた場所もあります。
シヴァ寺院では現状では埋没している、過去の基壇が発見されました。
このシヴァ寺院が伝えられている以上に、
複雑な変遷をたどっている可能性が出てきました。
今後は歴史的建造物の修復作業を進めるとともに、
学術調査を継続して、技術の共有も進めていく予定です。
また、シヴァ寺院が全壊した割には木材の損傷が軽かったことも判明しました。
今後、使用されていた木材の場所を特定していく作業にかかります。
この工程により、世界遺産の構成物件にふさわしい本来の木材を使用した修復ができます。
ネパールの歴史的建造物で世界遺産のは:まとめ
ネパールの世界遺産と歴史的建造物についてご理解いただけましたか?
本来は、ネパールの世界遺産のすばらしさをお伝えしたかったのです。
しかし、ネパール地震による被害を避けて通れませんでした。
現在は、できるだけ元の状態に戻すための作業をしています。
今回被害にあった多くの歴史的建造物は、ネパールの文化財である以上に、ネパールの人々の心の支えになっているものです。
歴史的建造物の修復がネパールの人々の心の落ち着きを取り戻し、観光産業の復興にも役立つものという思いで、進められています。
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